八上城の戦いと篠山城
こんにちは😃ちぃパパです。今回は兵庫の八上城と篠山城を攻城します。
明智光秀の丹波攻め
織田信長により天下布武が進められる中、丹波方面軍団長を任されたのが明智光秀でした。八上城の波多野秀治は早くから信長に従い光秀の軍に加わりますが、黒井城の赤井直正を攻めている最中、突如反旗を翻します。光秀は追い詰められますが、命からがら京都に逃げ近江坂本城に帰城します。これは赤井直正と波多野秀治の間に密約があったとも言われています。しかし体勢を立て直した光秀に八上城を攻められ、1年半にも及ぶ篭城戦で兵糧が尽きついに降伏します。そして安土城に送られ、磔となったのです。
雨の中の攻城
車を運転すること丹波篠山まで1時間半。1台しか駐車出来ないほどのスペースに車を入れ、山登り開始です。雨が降っているので、足元には気をつけないと。麓には城趾碑がありました。
中腹に見晴らしのいい所がありましたが、霧の為せっかくの景色も霞んでいます。
頂上まで登ること40分ほど、波多野秀治の慰霊碑がありました。従三位を贈られたようですね。ちなみに従三位とは位階のことでじゅさんみと読みます。
雨が少し強くなってきたので、足早に下山し篠山城へ向かいます。
青山のお殿様
篠山城は江戸時代になってから築城されました。縄張りを築城名人の藤堂高虎、普請総奉行を池田輝政が務めた天下普請により6ヶ月で完成したそうです。駐車場に車を入れた頃には雨が少し止んできたので、さっそく行ってみましょう。
石畳を少し歩いた所にある鉄門が入り口になっています。
こちらは城内にある埋門(うずみもん)と言い、非常時には土砂などで埋めて塞ぎ、敵の侵入を防ぎます。その中に普請総奉行である池田輝政の名が刻まれた石があります。各地のお城の石垣にもこういった刻印や符号のある石を見ることがあります。
現在篠山城のシンボルともいえる大書院ですが、昭和に焼失してしまい2000年に復元された
そうです。
篠山城は日本100名城なので大書院受付入口でスタンプゲットです。
天守台です。ここ篠山城は天守台を造ったものの石垣など城郭が強固過ぎて、天守を築きませんでした。その脅威を家康が懸念したと言われています。そもそも築城を命令したのは家康なんですけどね。
長い歴史の中で松平家の後、青山家が藩主となりました。10年ほど前に仕事でよく来ていましたが、地元の方は今でも「青山のお殿様」と呼んでいて、波多野という苗字もまだ残っていました。
TKG専門店❗️
卵かけご飯の専門店ってあるんですね。美味しいお米に新鮮な卵。これぞ本当の贅沢かもしれません。
温泉からの退院⁉️
さぁ今日も締めは温泉です。山の中にあるのんびり出来そうな雰囲気ですが、平日にもかかわらず駐車場はいっぱいでした。この頃には空は晴れてきて風が気持ち良かったです。
露天風呂からは山々が見えて最高でした。ゆっくりお湯に浸かった後、あがって着替えていると携帯が鳴りました。ん?この感じ前にあったよな?やはり妹からでした。
母親が「入院生活はもう限界なので早く退院したい。」と言っているとのことでした。退屈すぎて逆にしんどいようです。すぐに病院に電話し退院の許可を求めると、状態は良好なので問題ないとのこと。そのまま病院に直行し、無事退院となりました。今度母親を温泉に連れて行ってあげよう😊
日本100名城 4️⃣/100
続日本100名城 2️⃣/100
行ったお城 9️⃣城