駿河・遠江の旅 後編
こんにちは😃ちぃパパです。今回は静岡遠征の2日目、掛川から浜松へ移動しながら攻城します。
高天神を制するものは❗️
『高天神を制するものは遠江を制する』とまで言われた要衝の高天神城。今川の支城でしたが、武田と徳川による駿河侵攻で今川が滅亡すると、当主の小笠原氏興・氏助父子は徳川の家臣となります。その後も武田と徳川の間で第一次高天神城の戦い・第二次高天神城の戦いが起こりますが、戦後すぐに廃城となってしまいました。
ホテルで朝ごはんをたらふく食べ、体力チャージ完了。車で20分ほどの所にある高天神城攻城に挑みます。この鳥居が入り口の目印です。
朝早く誰もいない山道を歩いていくと、三日月井戸が出てきます。山城には欠かせない大切な水源ですね。
歩くこと45分ほどで本丸跡に到着しました。第一次高天神城の戦いで一度は武田方の城になりましたが、続く第二次高天神城の戦いでまた徳川氏が奪還した時、横田甚五郎が本国の武田勝頼に落城を知らせに行くため通った道がこの犬戻り猿戻りです。犬や猿でさえ恐怖のあまり戻って来ると言われたこの道を馬で駆け抜けたのですから凄いとしか言いようがありません。実際に歩きましたが、馬走れる⁉️笑
ふもとまで降りて来ると岡部元信の墓があります。武田氏の家臣で高天神城の城将でしたが、第二次高天神城の戦いで討ち取られました。もともとは今川氏の家臣であり、忠義の武将でもありました。
ちなみに続日本100名城スタンプは、掛川駅にある掛川観光協会ビジターセンターで昨日のうちに押しておきました。
家康の出世城と人生最大の敗北
徳川家康は武田の駿河侵攻に備え、三方原台地の東南端に浜松城を築城し、駿遠経営の拠点としました。ここから家康の天下盗りがはじまるのです。
高天神城からは車で約1時間。実は8年ほど前に一度来たことがありますが、大きな駐車場が出来たりして当時と変わっていました。やはり続日本100名城の効果か❗️天気のいい中ぶらぶらと天守に向かって歩いて行くと、これも前来たときには無かった天守門がありました。明治期に取り壊された後、2014年に復元されたそうです。
そして天守です。続日本100名城のスタンプと御城印はここの入口にありました。
浜松城の石垣は野面積みになっています。野面積みとは石を加工せずそのまま積み上げる工法で、近江の穴太衆と呼ばれる職人集団が有名です。もちろんここも穴太衆によるものです。
家康の出世城となった一方で、人生最大の敗北を経験します。それは武田信玄との間で起こった三方ヶ原の戦いです。
武田信玄は西上作戦と呼ばれる上洛の途中で徳川領を通るのですが、浜松城を素通りし北方にある三方ヶ原大地へと向かいます。素通りされた事に腹を立てた家康は、家臣の反対を押し切り織田の援軍と共に後を追いかけたのですが、何と魚鱗の陣を敷いて待ち伏せされていました。不利な形で戦いが始まり、日没までの2時間ほどで武田方の死傷者数約200名に対し、徳川・織田連合軍は約2000人。惨敗でした。そして家康は家臣を身代わりに命からがら浜松城へと逃げ戻りますが、何と恐怖のあまり馬上で糞を漏らしてしまいました。それでも家康は空城の計を行い決死の覚悟を示します。そこへ武田方の山県昌景隊が追ってきますが、浜松城の城門が全て開かれ篝火が焚かれているのを見て警戒心を煽られてしまい場内に突入することを躊躇し引き上げたそうです。この時家康は武将として覚醒したとも言われています。
浜松城から車で30分ほど北上すると、三方ヶ原古戦場の碑がありました。しかし追いかけて行ったら戦国最強の武田騎馬軍団が、こちらを向いて待ち構えていたなんて・・ゾッとしますね。
ちょうどお昼時になったので予約していた鰻をいただきます😆三方ヶ原古戦場碑のすぐ近くです。いゃ〜香ばしくて絶品❗️ご飯大盛りにしたのでお腹がはちきれそうでした。
『おんな城主 直虎』一気見💦
三方ヶ原古戦場から車で15分ほどのところに井伊谷城はあります。ここに行くことを決めた時、見逃していた大河ドラマの『おんな城主 直虎』を一気に全話見ました。2週間ぐらいかかったかなぁ❓笑
名前の通り徳川家家臣の井伊家のお城です。有名なところでは、井伊の赤鬼と呼ばれた初代彦根藩主井伊直政や桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼がいますね。
登城口から結構きつめの坂が続きますが、天守跡までそれほど時間はかかりません。
その麓には井伊家の菩提寺である龍潭寺があります。拝観料500円で中を散策できますが、とても良い雰囲気でした。一見の価値ありです。
下の写真の右から2番目が井伊直虎、5番目が井伊直政のお墓です。
大河ドラマを見たばかりなので感情移入しやすかったですが、常に柴咲コウと菅田将暉がちらついていました。笑
次はグスクかチャシ⁉️
駿河・遠江は徳川・武田・今川により奪い合いが絶えませんでした。しかし今川と武田を滅ぼし徳川の地になったのも束の間、豊臣秀吉に領地替えを言い渡され江戸へと・・家康が駿府に大御所として戻るのはもう少し先のお話です。
今回の駿河・遠江もとても楽しい旅になりました。次は沖縄のグスクや北海道のチャシなども良いかもしれませんね。
日本100名城 6️⃣/100
続日本100名城 6️⃣/100
行ったお城 1️⃣6️⃣城
駿河・遠江の旅 前編
こんにちは😃ちぃパパです。今回は静岡に1泊2日の遠征です。今の静岡県はその昔、駿河・遠江(とおとうみ)と呼ばれ、今川・徳川・武田が争った地域でもありました。いろいろなドラマがありそうですねぇ✨
まずは中トロ丼❗️
飛行機か新幹線か車かいろいろ悩みましたが、結局車で行くことに。初めての新東名を通り休憩を取りながらですが、約5時間ほどで清水まで到着しました。開店に合わせ10時頃に着いたので一番乗りです。河岸の市という所で、市場とたくさんの飲食店が一緒になっていて、それぞれ個性的な海鮮丼などを売りにしています。
中トロ丼をいただきましたが、ほんとにとろけて食べて無くなるのがもったいないぐらいでした。星3つです⭐️
河岸の市のある清水港からちょっぴり富士山が見えましたが、この遠征で最初で最後の富士山となりました。意外と見えないもんですね。
家康ゆかりの駿府城
最初のお城は駿府城です。ここ駿府はもともと今川義元の本拠地として栄えていましたが、上洛の途中に桶狭間の戦いで織田信長に討たれてしまい、その後今川家は没落の一途を辿りました。今川家には徳川家康がまだ竹千代と呼ばれた8歳の頃から人質となっており、10年以上をここで過ごします。その後今川・武田が滅び、家康が新たに駿府城を築きますが、豊臣秀吉の天下になると江戸へ移封を命じられました。しかし再び家康が大御所と呼ばれるようになった頃、ここ駿府城で余生を過ごすことになるのです。
ではさっそく行ってみましょう!駐車場に車を入れ、歩いていくと目の前に現れたのは巽櫓です。駿府城の櫓の中でも防御機能が一番高かったようです。晴れていて綺麗ですね。
そして、中に入ると東御門が待ち構えていました。二ノ丸の東に位置する重要な出入口です。その先のチケット売り場に日本100名城スタンプは置いてありました。
奥へ歩いていくと何やら発掘作業をしていました。えっ!なんか石垣出てきてる〜😆どうも徳川期の天守台と、豊臣期の天守台が出てきたらしく、発掘調査中のようでした。徳川の時代になるとその威光を天下に知らしめる為、豊臣時代の天守を破却してその上に新たな天守を建てました。あの大坂城もそうです。
武田の甲州流築城術
武田信玄が徳川領であった遠江を攻略する為に築いた出城である諏訪原城。甲州流築城術の特徴でもある丸馬出しが見られます。丸馬出しの前面には三日月堀があるため敵は正面突破出来ず、侵入しようとすると必ず両サイドに行かなければなりません。そこを丸馬出しの中と城の城壁の両方から攻撃されるという仕組みになっています。恐ろしいですねぇ。
下の図は諏訪原城にある案内板です。
この丸馬出しを少し進化させたものが、前にご紹介した真田丸にもありました。というのも真田家はもともと武田の武将だったんです。
駿府城からは車で45分ほど。駐車場の所にビジターセンターがありましたが、オープンは少し先のようです。続日本100名城の為スタンプゲットしましたが、いつでも押せるように屋外にありました。
道を進むと茶畑が出てきて、とてものどかでした。諏訪原城内には数々の遺構が残っていて建物こそありませんが、お城好きにはたまりません。
二の曲輪東内馬出です。こんなのがあちこちにあります。
ニの曲輪中馬出ですが、三日月堀が深いですね。思っていたより規模が大きくて見惚れちゃいました😊
柵が付けられていたり、木が伐採されていたり、整備されている感じがしました。ビジターセンターもオープンするともっと人が集まるんでしょうね。
今川の遠江進出
山内一豊が10年間城主をつとめたことで有名で、東海の名城と呼ばれた美しさそのままに、1994年日本初の本格木造天守閣として復元されました。
諏訪原城からは車で20分ほど。まずは今日泊まるホテルにチェックインし、徒歩で攻城します。平日のせいか掛川の町は少し寂しい感じがしました。
あっ!見えてきました。カケガワザクラがとても綺麗ですね。
さすがは東海の名城。雰囲気がよく、時間がゆっくり流れているようでした。
掛川城には二の丸御殿があり、二条城などと並んで全国でも数少ない完存御殿建築遺構のようです。ここの入口に日本100名城のスタンプはあります。
でも、遠江ってどれだけ狙われたんですかね。そこを制した徳川家康ってやっぱり凄いです。
世界一美味しいレアハンバーグ❗️
静岡名物って浜松餃子とか静岡おでんが有名ですよね。でも何やら平日でも行列ができる激うまハンバーグがあるとの情報が。しかも予約が取れないので自力で並ぶしかありません。では行ってみましょう!
ホテルから20分ほど歩き18時前には到着しましたが、もういっぱいでした。すげぇぇぇ!でもすぐに通され1番人気の『げんこつハンバーグ』を注文しました。レアハンバーグのようなのですが、実は超苦手なんです。生のハンバーグって好き嫌い分かれますが、抵抗ありますよね。
そして満席なので少し時間はかかりましたが、向こうからジュュュュゥとハンバーグがやってきました。お店の人が目の前で俵型のハンバーグをギュッと押し潰してソースをかけてくれました。いざチャレンジですが、中がピンク色〜!その人気と評判を信じ恐る恐る口へ運びました・・えっ?美味っ!これは食べてみなければ分かりませんが、レアだから美味しいというかレアじゃないとダメというか、なんと一瞬にしてレアハンバーグの虜になってしまいました。
締めはお決まりの😊
今回はつま恋温泉にやってきました。ホテルから車で10分ほどです。ご飯も美味しかったし温泉も気持ちいいし今日も最高でした✨明日は朝から山城を攻城するのでゆっくり体を休めようっと。
癒やす | [公式] つま恋リゾート彩の郷|静岡県 掛川市 リゾートホテル
日本100名城 6️⃣/100
続日本100名城 4️⃣/100
行ったお城 1️⃣3️⃣城
◼️後編へ続く◼️
淡路島 洲本城
こんにちは😃ちぃパパです。今回は兵庫淡路島の洲本城を攻城します。淡路島にもお城があったんですねぇ。
秘密基地で腹ごしらえ
車に乗ること1時間20分ほど。雨の中、明石海峡大橋を渡り洲本の街へ到着しました。洋食が食べたかったので事前に探したところ面白そうなお店が。ガレージのような入り口だが中はおしゃれに内装されていて、名前の通り秘密基地みたいです。AWAJI SETをいただきましたが、淡路牛のステーキも美味しく、食べごたえありました。
淡路水軍の城
洲本城は戦国時代になると、最初の天下人とも言われる三好長慶の弟である安宅冬康が城主となります。その後信長、秀吉の時代になると仙石秀久や脇坂安治が城主となり、九州征伐や小田原征伐で淡路水軍は大活躍したそうです。
洲本城は続日本100名城なので、洲本市立淡路文化資料館にてスタンプをゲットしました。そこでパンフレットもいただき、登城口を聞くと「山登りされた事ありますか?結構きついですよ。」と教えてくれました。「え?そんなに?」と、ちょっと不安になってしまいましたが、そこは行くしかないでしょう!そこから徒歩5分ほどのところに登城口はあるようです。
登城口から急な坂道を登っていくとさっそく現れました。今日一番の見どころである登り石垣です。登ってきた敵が横に移動出来ないようにする為のもので、なんでも朝鮮出兵の際、朝鮮に築いた日本の城である倭城での経験から採用されたそうです。この登り石垣ですが、有名な所では松山城や彦根城にも見られます。写真では少し見にくいですが、奥に見えるのがそうです。
本丸大石段です。石段にしても石垣にしても見事に残っていますね。
南の丸隅櫓跡です。こちらも立派な石垣です。
そして、天守です。もちろん模擬天守ですが、模擬天守としては日本最古のようなので賛否両論あるものの価値はあるようです。
天守には登れませんが、眺めは素晴らしいです。晴れていたらもっと綺麗だったでしょうね。
淡路文化資料館から徒歩でゆっくり石垣などを見ながらですが、所要時間は往復で約1時間半ほどでした。きついと教えてもらいましたが、最初の坂をしんどく感じた以外はまぁまぁ順調に登れたと思います。ちなみに少し前から体幹を鍛える筋トレはしているので、暖かくなったらジョギング始めま〜す😆
途中たこせんべいの里に寄りお土産買いました。過去に何度か来たことありますが、試食でお腹いっぱいになりそうです。
ジモティーの温泉
帰りに東浦町にある温泉に行きました。ここで疲れを癒して帰ろう!サウナもあり普通の温泉でしたが、ジモティーでいっぱいでした。淡路弁で日常の事や、仕事の事、その人の昔話などたくさん話されていました。淡路弁は以前に仕事で聞いたことがあったので、なんか懐かしい感じでした。
⬇️東浦 花の湯です。
温泉でリフレッシュ出来たし、今日も楽しかったな〜。帰りに淡路SAに寄りましたが、もう真っ暗でした。雨も上がり夜景が綺麗でした。
日本100名城 4️⃣/100
続日本100名城 3️⃣/100
行ったお城 🔟城
八上城の戦いと篠山城
こんにちは😃ちぃパパです。今回は兵庫の八上城と篠山城を攻城します。
明智光秀の丹波攻め
織田信長により天下布武が進められる中、丹波方面軍団長を任されたのが明智光秀でした。八上城の波多野秀治は早くから信長に従い光秀の軍に加わりますが、黒井城の赤井直正を攻めている最中、突如反旗を翻します。光秀は追い詰められますが、命からがら京都に逃げ近江坂本城に帰城します。これは赤井直正と波多野秀治の間に密約があったとも言われています。しかし体勢を立て直した光秀に八上城を攻められ、1年半にも及ぶ篭城戦で兵糧が尽きついに降伏します。そして安土城に送られ、磔となったのです。
雨の中の攻城
車を運転すること丹波篠山まで1時間半。1台しか駐車出来ないほどのスペースに車を入れ、山登り開始です。雨が降っているので、足元には気をつけないと。麓には城趾碑がありました。
中腹に見晴らしのいい所がありましたが、霧の為せっかくの景色も霞んでいます。
頂上まで登ること40分ほど、波多野秀治の慰霊碑がありました。従三位を贈られたようですね。ちなみに従三位とは位階のことでじゅさんみと読みます。
雨が少し強くなってきたので、足早に下山し篠山城へ向かいます。
青山のお殿様
篠山城は江戸時代になってから築城されました。縄張りを築城名人の藤堂高虎、普請総奉行を池田輝政が務めた天下普請により6ヶ月で完成したそうです。駐車場に車を入れた頃には雨が少し止んできたので、さっそく行ってみましょう。
石畳を少し歩いた所にある鉄門が入り口になっています。
こちらは城内にある埋門(うずみもん)と言い、非常時には土砂などで埋めて塞ぎ、敵の侵入を防ぎます。その中に普請総奉行である池田輝政の名が刻まれた石があります。各地のお城の石垣にもこういった刻印や符号のある石を見ることがあります。
現在篠山城のシンボルともいえる大書院ですが、昭和に焼失してしまい2000年に復元された
そうです。
篠山城は日本100名城なので大書院受付入口でスタンプゲットです。
天守台です。ここ篠山城は天守台を造ったものの石垣など城郭が強固過ぎて、天守を築きませんでした。その脅威を家康が懸念したと言われています。そもそも築城を命令したのは家康なんですけどね。
長い歴史の中で松平家の後、青山家が藩主となりました。10年ほど前に仕事でよく来ていましたが、地元の方は今でも「青山のお殿様」と呼んでいて、波多野という苗字もまだ残っていました。
TKG専門店❗️
卵かけご飯の専門店ってあるんですね。美味しいお米に新鮮な卵。これぞ本当の贅沢かもしれません。
温泉からの退院⁉️
さぁ今日も締めは温泉です。山の中にあるのんびり出来そうな雰囲気ですが、平日にもかかわらず駐車場はいっぱいでした。この頃には空は晴れてきて風が気持ち良かったです。
露天風呂からは山々が見えて最高でした。ゆっくりお湯に浸かった後、あがって着替えていると携帯が鳴りました。ん?この感じ前にあったよな?やはり妹からでした。
母親が「入院生活はもう限界なので早く退院したい。」と言っているとのことでした。退屈すぎて逆にしんどいようです。すぐに病院に電話し退院の許可を求めると、状態は良好なので問題ないとのこと。そのまま病院に直行し、無事退院となりました。今度母親を温泉に連れて行ってあげよう😊
日本100名城 4️⃣/100
続日本100名城 2️⃣/100
行ったお城 9️⃣城
明石城とインフルエンザ
こんにちは😃ちぃパパです。今回は兵庫の明石城を攻城します。
姫路城がスタンダード
お城を好きになる前は、天守が無いと城であるという認識が薄かったのかもしれません。小さな頃から姫路城が割と身近な存在だったので、日本一の名城を普通の城と捉えていたんですね。明石城にも行ったことはありましたが、城としてではなくて公園としてでした。なので改めて明石城を楽しもうと思います。
こんなに素敵だったの❓
電車に乗って25分。JR明石駅のホームからばっちり遠景が望めます。
しかしこの時、明石城築城400周年を間近に控えて化粧直し中でした。えっ!こんなにかっこ良かったっけ?
明石城といえば写真にも写っているように2つの櫓があります。右が船上城から移築された巽(たつみ)櫓、左が伏見城から移築された坤(ひつじさる)櫓です。
明石駅を北側に出るとすぐ目の前が水堀になっていて、石垣も素晴らしいです。
これ誰が造った庭園か分かりますか?
なんと意外や宮本武蔵だそうです。初代城主の小笠原忠真の客分であった武蔵は、その命により明石城内に樹木屋敷を造り、明石城下の町づくりを行ったとも言われています。
坤櫓と明石の街並みです。見方が変われば、感じ方は大きく変わるもんですね。この坤櫓、予約すれば中が見学できるようです。
明石城は日本100名城なので、場内のサービスセンターでスタンプゲットしました。
温泉のちインフルエンザ❗️
この日は明石城だけだったので、お昼ご飯を食べてからの出発でした。なので近くの日帰り温泉に行き日々の疲れを癒しま〜す✨温泉って何であんなに気持ちいいんですかね?昔は冷たくて敬遠していた水風呂ですが、サウナに10分ほど入った後に汗を流してからザブーン!ハマりました。サウナ→水風呂を散々繰り返した後、休憩所でお昼寝タイムです。あ〜最高!
ん?着信音で目が覚めました。妹からです。電話に出ると母親が発熱し、かなりしんどそうなので病院に連れて行って欲しいとの事でした。すぐに飛んで帰りましたが、顔真っ青!母親を連れて病院に行くと・・
インフルエンザからの肺炎でした。その日から入院となり入院準備をしたり手続きをしたりバタバタでした。まぁしばらく安静にすると大丈夫そうなので一安心です。
また化粧直しが終わったら明石城見に行こう。
日本100名城 3️⃣/100
続日本100名城 2️⃣/100
行ったお城 7️⃣城
小田原征伐 後編
こんにちは😃ちぃパパです。今回は遠征2日目、小田原から行田に移動して忍城を攻城します。
のぼうの城
と言ったら皆さんピンとくるんじゃないでしょうか。野村萬斎演じる成田長親が主人公の戦国時代映画。その舞台となったお城です。車で2時間ほどかかります。
小田原征伐の時に、北条方の支城はことごとく攻められました。忍城もその中の一つで、ここを攻めるは総大将石田三成率いる2万を超える大軍。一方城代を務める成田泰季が急死した為、その息子成田長親を総大将とする2千との間で籠城戦が繰り広げられます。
石田堤
三成は最初力攻めに出ますが、敵方の正木丹波守・柴崎和泉守・酒巻靱負などの獅子奮迅の働きで攻略できず水攻めに転じます。三成は忍城を望む丸墓山古墳の頂きに本陣を置き、総延長28㎞にも及ぶ堤防をわずか1週間ほどで完成させます。それが石田堤です。
水攻めとは簡単に言うと、お城を囲むように堤防を築き、その中に川の水を引き込んで水浸しにしてしまうことです。
忍城水攻めは備中高松城や紀伊太田城と並び、日本三大水攻めと呼ばれます。
落ちなかった城❗️
しかし川の水はあまり溜まらず、その上堤防が一部決壊した事もあり水攻めは失敗に終わります。北条の他の支城は次々に落とされますが、忍城だけは落ちませんでした。
ですが本城である小田原城が降伏開城したので、忍城も開城することになります。
現在、本丸跡は行田郷土博物館になっています。
思い出すのは佐藤浩一
忍城南方の佐間口を守り寄せ手を撃退した正木丹波守利英は、戦が終わると佐間口付近に高源寺を建立し戦没者の菩提を弔いました。その翌年に亡くなりますが、ここ高源寺にお墓があります。
のぼうの城では正木丹波守利英を佐藤浩一が演じていたので、目を瞑ってお墓に手を合わせると、どうしても佐藤浩一が浮かんできます。笑
そろそろお昼の時間なので予約しているお店に行きたいと思います。ちょっと贅沢をして、うな丼いただきま〜す!
いてっ!一口目で小骨が奥歯に挟まり、抜くのに5分かかりました。なんてこった〜。
気を取り直していただきま〜す。うなぎの柔らかさと香ばしさがとても美味しかったです。毎日お昼にうなぎ食べたいぐらい大好きです。
かねつき堂 (かねつきどう) - 行田市/郷土料理(その他) | 食べログ
行田名物といえばゼリーフライと聞いたので近くのお店で買って食べました。うーん・・何と言うか・・なかなか表現が難しいですねぇ。私はお昼ご飯でお腹いっぱいの後でしたが、ペロリと2つ食べちゃいました。意外とボリュームもありますし、個人的には大好きですね。
年に4回一人旅
今回初めてのお城めぐり旅行でしたが、小田原も行田もいいところでした。初めていくところだったので新鮮な感じがします。今回もそうですが、今後も平日に行けるので混雑してなくて比較的のんびりできます。年に4回ほど季節ごとにテーマを決めて全国各地を回るのもいいですねぇ。
日本100名城 2️⃣/100
続日本100名城 2️⃣/100
行ったお城 6️⃣城
小田原征伐 前編
こんにちは😃ちぃぱぱです。なんと今回は、神奈川の小田原から埼玉の行田にかけて1泊2日の初遠征です。
昔からの憧れ✨
初めての旅行先、実はずいぶん以前から決めていました。難攻不落の堅城である小田原城に行くのが夢だったんです。
というわけで、飛行機に乗り羽田空港まで1時間ちょっと。レンタカーを借り、小田原までのドライブ開始です。って、いきなり渋滞してますね〜💦途中左手にフジテレビの大きなパチンコ玉が見えて少し気が紛れましたが、この後30分ほど渋滞は続きました。海老名サービスエリアでトイレ休憩を取り、小田原に到着。約2時間のドライブでした。
お城のある街並み
小田原城に向けて車を走らせていると、城下町に入りました。町の中にお城があるって、なんとも言えない素敵な雰囲気がありますね。地元の方にとってはもう当たり前の光景かもしれませんが、羨ましい限りです。
近くの駐車場に車を入れ、まずは北条早雲に挨拶です。
写真で見たことありましたが、思ったより大きくてびっくりしました。小田原駅の西口にあり、シンボルになっているようです。
次に向かったのは、商店街の中にひっそりとある4代北条氏政とその弟氏照の墓所です。
豊臣秀吉が天下を治めようとする中、最後まで抵抗したのがこの北条氏です。ちなみに鎌倉幕府の執権であった北条氏と区別するために後北条氏と呼ばれることが多いです。ですが、秀吉の大軍による完全包囲の前に当主の5代北条氏直が自らの命と引き換えに将兵の助命嘆願をし、降伏開城を申し出ます。しかし秀吉はこの申し出に感じ入り神妙とし、氏直は高野山へ蟄居となりましたが、氏政と氏照兄弟は切腹させられました。成り上がりの秀吉に従うことを、北条という5代100年続いた名家のプライドが許さなかったんでしょうねぇ。
北条5代そば
お城に行く前に、お昼いただきます!
見るからに美味しそうな店構えです。
北条5代そばって名前がいいですね。観光客なら絶対頼んでしまいそう。という私も観光客なので注文しました。
難攻不落❗️
お腹も満たされたところで、さっそくお城に行きましょう。まずはめがね橋を渡り、馬出門をくぐります。
次に現れたのは、銅門(あかがねもん)。字の通り、銅で装飾されています。二の丸への入り口です。
さらに進むと、常盤木門。本丸への入口です。
そして、門をくぐると・・
じゃじゃーん!難攻不落の小田原城天守です。立派ですね。過去にはあの武田信玄や上杉謙信をも追い返しています。
ここ小田原城は総構えという城下町を含めた外周を土塁や堀で囲んだ巨大要塞でした。しかし、小田原征伐で秀吉が送り込んできた大軍はなんと22万。対する北条軍は5万なので勝ち目はありません。圧倒的な力の前に北条は降伏開城という形で屈しました。なので、城が落ちた訳ではないのです。でも城を力ずくで落とそうとしても籠城戦になり、天下の堅城ゆえ容易く落とす事は難しかったと思われます。それでも3ヶ月ほどかかったようですが、22万人の食費って一体どれぐらいかかるんですかね?
スタンプと御城印
入場券を買い、いざ天守に登ります。入口に日本100名城スタンプがあり、御城印も売っていました。これを忘れるとまた来なければならないので大変です。今回はちゃんとスタンプ押せました😆そして登っていくといろんな展示物があり、こういうの見るのほんと楽しいですね。最上階には小田原城の守護神である摩利支天像が鎮座していました。
天守からの眺めです。
向こうに見えるのは伊豆半島です。なんか時間を忘れて優雅だなぁ。一人旅って✨
太閤一夜城
北条が降伏開城を決めた大きな理由として、一夜城の存在があります。秀吉が小田原に着陣すると、小田原城が見下ろせる笠懸山に本陣を置きます。北条からは見えないようにそこに総石垣の城を築きました。延べ約4万人を動員し、80日かけて築城されたそうです。そして完成後に周囲の木を伐採した為、北条からすると一夜にして城が現れたように見えたのです。これで北条の心は完全に折れました。
登っていくと、見事なまでの石垣が現れます。小田原征伐以降この山は、石垣山と言われるようになり、現在では石垣山一夜城と呼ばれています。
頂上からの眺めですが、写真左に小田原城が見えます。ここから秀吉は睨みをきかせていたんですねぇ。
続日本100名城に選ばれているので、駐車場にてスタンプゲットしました。
早川口付近の海蔵寺に、名人久太郎こと堀秀政のお墓があります。秀政は小田原征伐の際ここに本陣を置きますが、疫病を患い急死してしまいます。秀政もまた秀吉の有力武将の1人でした。
小田原の海の幸と箱根温泉
あらかじめ予約しておいた駅前のお寿司屋さんで、小田原の海の幸をお腹いっぱい食べるぞ〜!
まずは、地魚握り盛り合わせ。どれも美味でした。次に一品料理のおすすめを3品ほどもらい、更に握りをおまかせで6貫追加。ダメ押しに巻きを2本いただき、ストップです。大満足でした。
お腹いっぱいになったところで、箱根温泉へGO!ホテルから15分ほどで着きます。
ちゃぽーん・・はぁ〜
至福のひとときでした。
◼️後編へ続く◼️