二条城と本能寺跡 後編

こんにちは😃ちぃぱぱです。今回は京都二条城の後編。買ったばかりの日本100名城の本を片手に出発です。

地上に出ると❗️

阪急電車京都市営地下鉄を乗り継ぐこと1時間半。二条城前駅に到着しました。出口を確認し地上に出ると

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いきなり現れました!さすが世界遺産。存在感と迫力が違います。空も綺麗でした。しばらく圧倒され眺めていましたが、一番絵になる角度を探しパシャリ。

そしてチケットを買い中に入りましたが、ここも外国人の観光客がすごく多いですね。

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中に入り少し歩くと、二の丸御殿の入口である唐門があります。

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その門には唐破風があり、見事な彫刻と色鮮やかな金工細工がされています。綺麗ですねぇ😊

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そして、その奥に有名な・・

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二の丸御殿です。

国宝に指定されており、江戸城大阪城名古屋城の御殿が失われた今日、国内の城郭に残る唯一の御殿群のようです。

1603年徳川家康征夷大将軍に任命されて以来、徳川家は日本の統治者として君臨してきました。しかし15代慶喜の時、薩摩藩長州藩による倒幕運動の結果、政権が朝廷に返上されます。そうです。『大政奉還』ですね。それを決定したのがここ、二条城の二の丸御殿でした。在京している40藩の重臣を呼び、話し合ったそうです。265年続いた江戸幕府の幕を下ろした瞬間でした。皮肉にも、関ヶ原の戦いで西軍に属した島津と毛利によってです。

記念すべき初なのに⤵️

入口近くの大休憩所に100名城スタンプは置かれていました。さっそく押そうとしますが、初なので妙に緊張してきた〜💦ええい!ぽんっ!あっ・・えっ?・・

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・・・・・・押し直しも見事に失敗しその場で5分へこみました 笑。気を取り直して売店で御城印帳と御城印をゲットすることにしました。


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まじかっけ〜✨これからいっぱい集めて行きま〜す。

さっきの失敗を引きずりながらもそろそろお腹が空いてきたので、前持って探していたお蕎麦屋さんで腹ごしらえです。二条城から歩いて5分ほど

きざみ蕎麦とカツ丼をいただきましたが、美味でした。少し早めに行ったので席は空いていましたが、だんだんと観光客が押し寄せてきてすぐにいっぱいになっていました。

そして・・本能寺跡

皆さんご存知の『本能寺の変』。二条城は江戸幕府最期の地でしたが、本能寺は織田信長の最期の地です。こちらも大きな歴史のターニングポイントとなりました。

そんな本能寺跡は二条城から歩いて15分ほど。住宅街の細い道を歩いていくと・・あっ!ありました。もともと本能小学校だった所に老人ホームが建っているようで、その一角にひっそりとあります。

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こちらは建物沿いにあります。比較的新しそうです。

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本能寺の変の時、信長の嫡男信忠は今の二条城がある付近の二条新御所で同じく明智光秀勢に攻められ自刃しています。一緒にいなければ織田の天下は続いていたかも・・いやいや、歴史にたらればは禁物でしたね😅

日本100名城 1️⃣/100

日本100名城 0️⃣/100

行ったお城 3️⃣城

二条城と本能寺跡 前編

こんにちは😃ちぃぱぱです。今回は京都の二条城を攻城します。

日本100名城との出会い

ある日次に行くお城の予定を立てる為、本屋に行きました。どんなお城があるんだろうと。するとすぐにある本が目に入りました。『日本100名城に行こう』

おぉぉぉ〜!100城もあるのか〜!

な、なんとその隣には『続日本100名城に行こう』

おぉぉぉぉぉぉ〜!あと100城もあるのか〜!

食い気味に手に取りぱらぱらと見ただけでレジへ直行。じっくり読もうと急ぎ足で家に帰りページをめくるとそこには!

『1.根室半島チャシ跡群』・・ん?ナニソレ?いきなり面食らいました 笑。地図で場所を確認すると北海道の右端辺りの根室にあるアイヌの砦のようです。そして次々めくっていくと、全国各地に聞いたことある城から聞いたことない城までほんとにたくさんあり、時間を忘れて見入ってしまいました。しかも本の最後の方にスタンプを押すページがあり、各お城に置かれているスタンプを集めていくようになっています。おそらく制覇するのに軽く10年はかかりそうです。人生をかけて楽しめそうな予感ですね〜✨

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2012/04/10
  • メディア: 単行本
 
続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2019/01/04
  • メディア: 単行本
 

御城印帳を求めて❗️

いろいろ調べるとお城によっては御城印というものがあるそうです。その場で書いてもらえる神社の御朱印などとは少し違い、ほとんどが小さなサイズの紙に印刷されています。でもかっこいい書体でお城の名前が書かれてあり、ゆかりの武将の家紋などが押されています。これはもう集めるしかないですね😆

さらにその御城印を貼る御城印帳があるのですが結構レアな感じで、会津若松城と二条城にしか売っていないようです。御朱印帳はメジャーなのでいろいろあるんですけどねぇ。

何はともあれ次の目的地は決まりました。そう二条城へ行っちゃいましょう!

実は2度目の二条城

そういえば、ずいぶん以前に社員旅行で二条城に行った事がありました。当時も戦国史に興味はあり他のお城に行ったりもしていましたが、今ほどではなかったかもしれません。素通りはしませんが、写真を撮ることもなく「へぇ〜」っていう感じでした。今考えるともったいない事をしていました。なので改めてじっくり攻めたいと思います。

楽しみだ〜✨

 
◼️後編へ続く◼️

 

 

三木城 竹中半兵衛と干し殺し

こんにちは😃ちぃぱぱです。今回は兵庫の三木城を攻城します。

気にはなってたが・・

以前はよく仕事で三木城の近くを通る事があり【竹中半兵衛の墓】という看板も気にはなっていましたが、特に行く機会もなくスルーしていました。でもお城めぐりにはまった今、行かない理由はありません。

車を運転すること約1時間。住宅街を抜けると三木城主であった別所長治の像が出迎えてくれました。

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別所氏は織田信長が勢力を広げるなか早くから信長に従っていましたが、やり方に不満を感じ丹波波多野秀治と呼応し反逆します。それにより中国方面司令官である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に攻められますがその際、軍師竹中半兵衛により『干し殺し』と呼ばれる兵糧攻めが行われました。1年10ヶ月にも及んだこの干し殺しで、人は空腹の為死んだ人の肉を喰らい、それは地獄絵図だったそうです。

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駐車場からすぐの所に三木合戦を描いた案内板あります。これを見れば大体の物語は把握出来ると思います。どこに行っても文字での説明が多いですが、絵物語になっているので読みやすいです。

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天守跡ですが平日だからなのか、他に人はいませんでした。穴場的な感じなので静かに見れていいですね。

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近くの雲龍寺には別所長治とその妻照子の首塚があり、手を合わせてきました。当時龍雲寺の住職が、長治夫妻の自刃のあとその首を貰い受けて埋葬したそうです。

山登りデビュー❗️

次に目指したのは三木城から車で10分程、三木合戦の時に豊臣秀吉の本陣があった平井山です。

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これから先本格的にお城めぐりを始めるようになり、各地の山城(山の上にあるお城)へ行く為いろいろな山に登る事になるのですが、思えばこれがデビュー戦となりました。登りは結構キツく、完全に体力不足です!

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でも、この景色を見れば疲れなんて吹っ飛びます。そしてすぐに下り始めますが、下りは違うしんどさが。駐車場に着いた時に気付いたのですが、

あ・・足がプルプルしてる〜 笑

「ジョギングと筋トレ、絶対にやるぞ!」と心に誓った瞬間でした。

竹中半兵衛

冒頭で触れましたが、ずっと気になっていた看板【竹中半兵衛の墓】へ、ついに行く時が来ました。平井山からは徒歩で行けます。

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竹中半兵衛はもともとは美濃の斎藤氏に仕えますが、斎藤龍興の代になり政治が乱れると警鐘を鳴らす為、僅か16名ほどで居城である稲葉山城(現在の岐阜城)を乗っ取ります。その後龍興に城を返し自らは隠居してしまいますが、そこに現れたのが豊臣秀吉だったんです。三顧の礼で誘われた半兵衛は、秀吉の人柄に惚れ家臣になったそうです。しかし半兵衛は結核を患い、この三木合戦の最中に息を引き取ります。享年36歳でした。歴史ってなんだかほろ苦く切ないですね。

ピカタって何❓

今回も洋食が食べたくなり、ぽちぽちスマホで探しました。

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ちょうど三木城の近くにありました。黒板に書いてあった本日のランチにしましたが、初めて目にする『ポークピカタ』に少し戸惑いました。食べてみると・・うまい!😊

調べたところ、豚肉に小麦粉をまぶし粉チーズを混ぜた溶き卵をたっぷりからませてソテーする西洋料理だそうです。

この日は少し遅めの昼ごはんを食べ帰路に着きました。もうお城めぐり無くして人生は語れません。これから先の予定を立てるのが楽しみです。旅行にも行ってみたいなぁ✨

行ったお城 2️⃣城

 

お城めぐりデビュー 大坂城と真田丸

きっかけは『真田丸

初めまして😃ちぃぱぱと申します。

私はいつの頃からか戦国時代に興味を持ち、大河ドラマをテレビでよく見ていました。

大河ドラマでよく覚えているのは、

ですね。

毎週日曜日の夜8時が楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。

もちろんお城や戦場跡など何ヶ所か行ったことはありましたが、定年後にでもゆっくりまわろうと思っていました。

ところがある日テレビで見た大坂城に「一度行ってみたいなぁ。」と思った瞬間『真田丸』が脳内によみがえり、次の休みで大坂城真田幸村ゆかりの地めぐりへと行く事に決めました。

ちなみに皆さんが知っている真田幸村という名前は後世になって付けられた可能性があり、本当の名前は真田信繁(のぶしげ)というそうです。

さぁ いざ出発❗️

まずは大阪城を目指しJR大阪城公園駅で下車。駅にはこんな模型が置いてありました。

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駅から歩くこと10分・・見えてきましたぁ😆

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こうなるともうテンションは⤴️⤴️気が付くと早足になっていました。笑

来てみて思ったのですが外国人が多いです。日本人より多かった気がします。大坂城なのか豊臣秀吉なのかは分かりませんが、人気は世界的になっていますね。

そして天守閣✨

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空が綺麗でした。

さっそく入場券を買い天守閣の中に。5階まではエレベーターで上がれるそうですが長蛇の列のため徒歩で登ることに。各階に展示物がありますが全てじっくり見るにはいくら時間があっても足りません。なので少し足早に最上階へ。結構登り応えがあります。

素晴らしい眺めに「この景色を太閤秀吉も見てたのかぁ。」なんてお約束のベタな事を思い感動していました。笑

ん❓お腹が空いてきたなぁ

まだどこで何を食べるか決めてなかったので、スマホでご飯屋さんを調べました。迷わず蕎麦か洋食の2択!するとJR森ノ宮駅の近くにありました。

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ビールは飲めませんが洋食が美味しそう✨

C定食をいただきました。やっぱり洋食はいいですねぇ。お店も満席で忙しそうでした。

そして 真田丸

食後の運動もかねて10分程歩き、まずは真田丸跡地にあるとされる三光神社へ。

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神社では今流行りの御朱印をいただくことが出来るようで、ちょうど男性が一人書いてもらっていました。御朱印かっこい〜と思いつつ神社を散策すると

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ここが真田丸だったんですね。

1614年大坂冬の陣徳川家康率いる江戸幕府軍約20万、一方豊臣秀頼を旗頭に集まった浪人集団約9万の間で戦が起こりました。真田幸村大阪城で防御が一番手薄なこの場所に出城である真田丸を築き、幕府軍を次々と撃破します。でも結局豊臣方は不利な講和条件を受け入れ、真田丸は破壊されてしまいました。そして大坂夏の陣での幸村の死、豊臣家の滅亡へと繋がっていくわけです。何とも悲しいですね。

歩くこと5分、次に訪れたのは幸村のお墓がある心眼寺ですが、ここも真田丸の一角のようです。

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そして静かに手を合わせました。

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心眼寺を出ると先ほど三光神社御朱印をもらっていた男性にまた会いました。思わず「真田丸めぐりですか?」と話しかけると、何と台湾の方でした。日本の史跡をめぐったり、神社の御朱印を集めているそうです。

最後は幸村が討ち取られた安居神社です。心眼寺からは徒歩45分ほど。気が付けばJR天王寺駅の近くまで来ていました。さすがに足が棒です💦

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戦上手である真田昌幸の遺伝子を引き継いだ幸村。ところが幸村が立てた作戦はことごとく却下されてしまいます。それでも覚悟を決め家康本陣のみを狙った決死の突撃。その凄まじさに家康は二度も自害を覚悟したそうです。しかし後一歩のところで撤退を余儀なくされ、この安居神社の境内の木にもたれかかり休んでいたところを発見され討ち取られたそうです。その時幸村は「この首を手柄にされよ。」と自ら首を差し出したといいます。さすが「日本一の兵」ですね。

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平日ということもあり他に人はいなく、何とも寂しい雰囲気がありました。
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この戦いに勝利したことで徳川幕府は盤石なものになり、およそ150年続いたいわゆる戦国時代が終わります。天下泰平の世を目指しそれが実現しましたが、そこに幸村がいないのは残念ですねぇ。

やばい❗️楽しすぎた❗️

真田丸』を見てその物語を知っていただけにこの日たどった道は思い出に深く刻まれました。大坂城真田丸はもちろん、お昼ご飯を食べている時も歩いている時も何をしている時も充実した時間が流れていて、ほんとに楽しすぎました。

これを機に私のお城めぐりが始まることになるのですが、日本にはいくつのお城があると思いますか?かつては数万あったとされますが、現在でも城址を含めると数千もあるようです。全ては無理としても出来るだけ多くの魅力あるお城を見てまわろうと思っています。全国各地のお城めぐりやグルメなどいろいろ情報を伝える事ができたり、それが少しでも何かの参考になれば嬉しいです。

行ったお城 1️⃣城